茶室の歴史

東山時代の足利義政(八代将軍、約600年前)が、大徳寺の一休禅師の門下であった禅僧村田珠光と義政の同朋 「能阿弥」「芸阿弥」「相阿弥」の四人に命じて茶礼を制定させました。
即ち、広い座敷に一丈(十尺四方)を屏風で囲み、台子を用いた台子手前で茶礼を始めたことがはじまりとされています。
茶祖といわれている「村田珠光」時代にはじまった書院風茶室(広間)を経て、次の年代の「武野紹鴎」時代になって、四畳半の茶室(小間)がつくられ、「千利休」の後半期に屋根形は入母屋から切妻になり、壁も土壁、格子も細竹の連子と草庵の茶室に変わっていきました。

これは、茶室建築に欠かすことのできない北山丸太の歴史と発展に大いに関係があります。
風炉の手前は夏だけになり、冬は畳に炉を切って二畳、或いは三畳、一畳半までの狭さの室を考え、又、畳を1/4に縮めた台目畳を使用するなど「佗茶」の作法を考案しました。
さらに古田織部は、四畳半台目の席を考案し、小堀遠州がこれを完成させたと伝えられています。即ち利休のお茶は禅の心が中心で、 わび、さびを主体とした茶室でしたが、 織部の時代には世の中も太平になり、 美的要素が求められるようになった背景と ともに、次第に比較的明るく、美しい茶室に変わりました。
 
 
 
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