これは、茶室建築に欠かすことのできない北山丸太の歴史と発展に大いに関係があります。 風炉の手前は夏だけになり、冬は畳に炉を切って二畳、或いは三畳、一畳半までの狭さの室を考え、又、畳を1/4に縮めた台目畳を使用するなど「佗茶」の作法を考案しました。 さらに古田織部は、四畳半台目の席を考案し、小堀遠州がこれを完成させたと伝えられています。即ち利休のお茶は禅の心が中心で、 わび、さびを主体とした茶室でしたが、 織部の時代には世の中も太平になり、 美的要素が求められるようになった背景と ともに、次第に比較的明るく、美しい茶室に変わりました。
|